講師 砂川めぐみ
大阪府立天王寺高等学校卒業
大阪教育大学教養学科芸術専攻音楽コース(ピアノ)卒業
2000年より奈良県大和高田市にてピアノ教室フェリーチェを主宰。生徒は4歳から60代まで幅広く在籍。指導歴25年。学生時代には瓜原一勲、その後40才からクラシックピアノを松村敬子に師事。
また、2014年3月より㈱コーチ・エイにて本格的にコーチングを学び始め、同年(財)生涯学習開発財団認定コーチ資格取得を機会に、クライアントを得てプロコーチとしての仕事も開始。2016年5月認定プロフェッショナルコーチ、2019年3月認定マスターコーチ資格取得。
2020年1月には国際コーチング連盟(ICF)プロフェッショナル認定コーチ取得。
現在もクライアントとして自らもコーチングを受けている。
奈良市等においてカフェ・コンサートを開催。
大学卒業後3年間、法律事務所の秘書として勤務。その後、音楽教室講師を経て、現在26年目となる看護学校講師もつとめる。運動も得意な快活さ、1800人を超える学生達との交流と、プロフェッショナルコーチの経験も活かし、生徒たちと笑顔でコミュニケーションをとり、それぞれの課題に対して具体的な練習法を提案。生徒に寄り添い、モチベーションを上げ、個性を引き出すレッスンが支持を得ている。ピアノ指導の研究はもちろん、何事にも意欲的に目標に向かえるようなサポートができるコーチングスキルのさらなるブラッシュアップ、自らも演奏者として楽しむことを目指し研鑽を続けている。
ピアノ教室フェリーチェ主宰
全日本ピアノ指導者協会(ピティナ)会員
国際コーチング連盟プロフェッショナルコーチ(PCC)
(一財)生涯学習開発財団 認定マスターコーチ
徳島大学 教養教育コミュニケーション講座 外部講師
迷いながらも、ピアノとともに歩んできた。そんな私だからこそ、力になれる。
じりじりと太陽の照りつける真夏のある日、明るい光の差し込むカフェ。その白い壁の前で、ふわふわのクリーム色のドレスを着た砂川めぐみ先生が、ピアノを演奏していた。おしゃれなハーモニーをとりいれた三善晃や田中カレンの作品を聴いていると、ピアノのまわりに海や空が広がっていくかのようだ。
この日は高校時代の友人で、現在プロのミュージカル女優として活躍中の寺西恵美さんとふたりで開いたコンサート。客席には教室の生徒さんや友人、そしてふたりの高校時代の恩師の姿も。耳を傾ける大人に、ケーキをほおばりながら聴いている子どもたち。後半、歌の伴奏になると、一歩ひきつつも、ピアノが歌をしっかりと支える。そして最後に、もういちどめぐみ先生のソロ。曲は、「音楽の道を進もうと思った高校生のころに、はじめて練習した思い出の曲」だという『月の光』(ドビュッシー)。ときに輝かしく、ときにおだやかに、うつりかわるイメージを、ピアノで見事に描き出していた。
このように、安定した演奏力を維持するために、めぐみ先生は、いまも毎月レッスンに通っている。クラシックは、数々のコンクール入賞歴を持ち、最新の指導法を持つピアニスト野谷恵先生、そして音色の指導に定評のある松村敬子先生に師事。ジャズピアノは石熊楽子先生の指導のもと、コードやスケール、ジャズならではのリズムのとり方などを基礎から学んでいる。
「35歳を過ぎて、人生の残り時間をすごく意識するようになったんです。ぐずぐずしていたら、人生終わっちゃうかもしれないと。それでレッスンに通ったり、演奏活動も始めました」
中学生と、小学生のお嬢さんたちのお母さんでもあり、20人以上のピアノの生徒さんを抱えている。多忙な中、レッスンのあいまの10分ほどの細切れ時間を積み重ねて曲を仕上げることもあるそうだ。
これだけピアノ、そしてピアノ指導に情熱を燃やしているめぐみ先生。しかし大学卒業後、いちどピアノから離れた時期がある。
子どものころ、勉強も運動も得意で、通知表はだいたいオール5、ピアノも弾けるという優等生だった。中学時代は吹奏楽部でフルートを担当。そして京都大学に3桁の合格者を出すことで知られる文武両道の名門、大阪府立天王寺高校に進む。ずば抜けた頭脳を持つ友人たちに囲まれ、さすがに、何をやってもいつも1番というわけにはいかなくなる。当然だと頭ではわかっていても、心の中には戸惑いがあった。自分が一番輝ける場所は、どこにあるのだろう。
そんななか、じわじわとピアノを本格的にやってみたいという思いが芽生えてきた。「大学はピアノで進んでみよう」と決意。大阪教育大学教養学部に合格し、ピアノを専攻する。しかし大学で師事したピアノの先生のレッスンは、想像以上に厳しかった。じっと耐えたものの、やる気が起きなくなってしまう。卒業後の道を考えたとき、しばらくピアノから離れようと決めた。
卒業後に就職した法律事務所では、住宅ローンを払いきれなくなった債権者への対応をまかされた。すごんでくる男性に、「私の家をとりあげないでください」と泣きじゃくる女性も。冷静かつ的確に対応しなければならない。何の予備知識もなかった法律について全力で勉強し、めぐみ先生は秘書として仕事をまかされるようになる。
しかし法律は勉強すればするほど難しく、自分の専門は音楽なのだと思い知らされた。3年間働いたのち、カワイの音楽教室に講師として転身。「法律の仕事を一生していくのは難しい。やっぱり音楽に戻りたい。私にまだやれることがあるかもしれないと思ったんです」
ピアノ講師をはじめると、想像以上にやりがいがあった。自分はピアノを教えられる、人の役にたてるのだという喜び。指導法も教材も、学ぶことはたくさんあり、セミナーにもせっせと通い、とりつかれたように勉強した。
カワイで2年間教えてから、自宅でもレッスンを始める。お嬢さんたちが小さい頃には、大人の生徒さん4人限定でレッスンしていた時期もあった。子育てが少し落ち着いた2010年から、子どもの生徒さんの指導も再開。現在、レッスン枠はほぼ埋まっている状態だ。
迷いながらも選んだピアノの道、そして続けてきたピアノを教える仕事。今振り返って「すべての経験がつながり、自分をつくってきた。それを生徒さんのために役立てたい」という思いが強くなっている。
ピアノから離れた時期。子育てをして初めてわかる親としての複雑な思い。いま自分がレッスンに行き「練習できていなくて先生に申し訳ない」と思う気持ち。人前で演奏する前の緊張感。それらの不安を、楽しさや喜びに変えるスイッチのありかを、めぐみ先生は知っている。それらを自分自身が乗り越えてきたからだ。
たとえば大人の生徒さんたちと開いている「大人だけのピアノカフェの会」では、「私なんて、こんなに下手なのに、とても恥ずかしくて出られません」という生徒さんがいた。めぐみ先生はこんな話をしたそうだ。
「演奏している曲の難易度から見れば、簡単なものを弾いているかもしれない。でも、子どもさんが、ハイハイだったのが歩いて、立って、走るようになるのを見ていくのは、嬉しいものですよね。最初は全分音符だけだったのが、いまはもう八分音符を弾いている。そんな姿をお見せできたら、みなさんの励みになると私は思います」
結局、その生徒さんは「カフェの会、やっぱり出ます」と言って、無事に演奏を終えることができた。「とても恥ずかしそうでしたが、震える指を一所懸命に鍵盤へ運んでいらっしゃいました。その姿、その音に、私も他の生徒さん達も、胸がいっぱいになりました」
豊かな人生経験から生まれる深い洞察力と想像力、そして感性を、めぐみ先生は持っている。だからこそ、ひとりひとりのピアノを続けたい気持ちに寄り添い、深みのある指導ができる。
将来の夢として、お母さんたちのために前半はコーチングのセミナー、後半はコンサートという企画をあたためているとか。カフェコンサートも含め、めぐみ先生の作り出す素敵な時間に、多くの人がこれからも魅了されることだろう。
取材・文/山本美芽(音楽ライター) 2013年9月4日取材